こんちゃ!PS4のスパイダーマンにハマっているアサミヤです。
今回もいつもお世話になっているGAGAさんから、公開前の映画「テルマ」のレビューのご依頼!
よっしゃこらぁ気合入れて書くぜぇと思って早速お送り頂いたDVDを鑑賞させていただいたのですが・・・
むっず。
めっちゃむずいんすよこの映画を語るのは。
解説をしようにも全然理解できないことばかり。
そもそもこの監督は「理解」など求めておらず、ただただ心に直接届くような抽象性を大事にされているのではないでしょうか。
しかしながら私も映画レビュアーの端くれとして、なんとかこの映画をより多くの人に届けるべく、頑張って書きます!!
ただし当然の礼儀で今回はネタバレなしでお送りします。
なんか映画の内容に引っ張られてちょっと文体が暗くなりましたが、まぁそれも含めてこの映画の持つ力ですよ。
ちなみに10月20日公開ですので、これを読んで予習してください!
『テルマ』 概要・あらすじ・キャスト
概要
あらすじ
ノルウェーの人里離れた田舎町で、信仰心が深く抑圧的な両親のもとに育った少女テルマ。なぜか彼女には、幼少期の記憶がない。オスロの大学に通うため一人暮らしを始めたテルマは、同級生のアンニャと初めての恋におちる。募る欲望と罪の意識に引き裂かれながらも、奔放な彼女に強く惹かれていくテルマ。だが、それは封印されたはずの“恐ろしい力”を解放するスイッチだった―。テルマは不可解な発作に襲われるようになり、その度に周りで不気味な出来事が起こる。そんな中、アンニャが忽然と姿を消してしまう。果たして、テルマの発作とアンニャ失踪の関係は?両親が隠し続けてきたテルマの悲しき過去が明かされる時、自分すら知らない“本当の自分”が目覚め始める―。(filmarksより)
スタッフ
監督:ヨアキム・トリアー
キャスト
●エイリ・ハーボー:テルマ
厳しい親のもとで育った真面目な少女。
大学進学を機に家を離れて一人暮らしを始めた彼女は初めての恋やお酒を経験するが、罪悪感に苛まれる。
それと同時に、秘められた能力が目覚め始める・・・。
●カヤ・ウィルキンス:アンニャ
テルマといい仲になる長身モデル体型のミステリアス少女。
実際にモデルやミュージシャンとして活動しているマルチな彼女に、嫉妬すら湧きません。
●ヘンリク・ラファエルソン:トロン
テルマの父。
いちいち電話してきては晩御飯の内容やフェイスブックの話を持ち出す、まさしく毒親。
●エレン・ドリト・ピーターセン:ウンニ
テルマの母。
昔のあることがきっかけで車椅子生活を送っている。
見るからに怖そうだが、その裏には悲しみ漂う影さしまくりの母。
『テルマ』 感想
87点
特殊能力の話?
ある特殊能力を持った少女の話・・・
そう書くと、近年どんだけ作品を連投してるんだとぼやきたくもなるMARVELシリーズみたいないわゆる「スーパーパワー」を思い浮かべるかもしれませんが、全くもって地味な作風であり、終始「詩的な映像表現」で紡がれています。
詩的、すなわち、理屈で説明できるようなお話ではありません。
むしろ理屈を拒否するような徹底した抽象性の中でストーリーが展開します。
「ホラー」にカテゴライズされているようですが、これは果たしてホラーなのでしょうか?
確かに、怖くて、不安で、嫌悪感を抱く場面もありますが、もっと心の芯に食い込むような、
ホラーよりもっとホラーなお話でした。
スーパーパワーの話でもなく、謎解きの話でもなく
これは北欧のジメジメとした重い空気を含んだ映像で、ある少女の成長を美しく描いた作品なのです。
毒親に育てられた少女
私も経験があるのですが、過干渉な親に育てられると、鬱陶しい、消えてしまえばいいのにと思ってしまったりします。
どこまで強くそう思うか、実際にどうするかはもちろん人それぞれですが、そんなに珍しい感情ではないような気がします。
劇中では実は親の過干渉には理由があり、そうなるきっかけは幼い頃の主人公テルマがその「能力」を発動してしまったことだったのですが、その経緯を知らない、当時の記憶もない彼女にとってはただの「毒親」でしかありません。
いや、テルマにとっては彼らは毒親ではなかったのかもしれません。
劇中、アーニャから「父親とそんなに話すなんて変だよ」と言われますが、彼女はそれをちょっと困った顔をしながら否定します。
周囲から見たら明らかなことも本人にとってはわからないことってありますよね。
彼女はとても真面目で、真摯に毒親と向き合っています。
しかし、そんなこと考えちゃいけないと思いながら、どこかでずっとその「消えてしまえ」という思いを(無自覚的にも)抱いてきたのでしょう。
頻繁に電話をしてきては「今どこだ?」「夕食は何を食べた?」「Facebookで新しい友達ができたな」などと言ってくる両親。
なんかもう、嫌になるくらいリアルで、本当にイライラさせられました。
「善意」であり「心配」なのはわかるんですよ。
でもそれって「自分が安心したい」っていう気持ちを子供に背負わせてるだけじゃん!?
ってか、そんな過干渉で、よく都会で一人暮らしさせたな!
終盤まで見るとこの両親が過干渉であった理由も徐々にわかってきて、少々同情も湧いてくるのですが、それでも序盤の彼らの「うっとおしさ」はなかなかの迫真さです。
マジでうざいです。
彼女の能力
そんな中、彼女は秘められた「能力」に目覚めます。
残念ながらこれはネタバレですので伏せます。
しかしこれを言えないとなるとものすごくレビューが難しい・・・・
ド田舎からオスロの大学に入学して一人暮らしを始めたテルマはアーニャという大人びた女の子と恋に落ち、お酒を飲み、開放的になった時、彼女の能力はふいに目覚めてしまうのです。
実はなぜこのアーニャと恋に落ちたか、ここにある秘密があって、それは彼女の「能力」と深い関わりがあるのですが、、、言えないんだなぁ〜〜〜
そしてまた、両親が今まで自分に過干渉であった理由もその「能力」のせいであったことが徐々に明るみになっていきます。
しかし、この映画においてこの「能力」は確かに重要なファクターですが、これは「若さ」あるいは「年頃の女の子の全能感」のようなもののメタファーであるような気がします。
女の子が大人の女になる過程において、親にとっても不可解で、時に脅威にすらなり得る
「女の子特有の不安定さ」が、この特殊能力に象徴されているように思えました。
子はいつ親から、親はいつ子から解放されるのか
子供はいつだって、母に許しを求めるものだと思います。
先日もぶらぶらとお散歩をしていたとき、ある親子に遭遇しました。
乳母車の赤ちゃん(妹)に何かをあげようとしたらしい、まだ幼い女の子が父親にダメだと強い口調で諭されていました。
口に入れてしまうかもしれんやろ!勝手にものをあげるな!と。
すかさずそばにいた母親に「ねぇねぇダメなのー?」と懇願するような声で聞いていたあの女の子。
父親の口調があまりにも高圧的で、しかし正しくて、すがる余白がないのです。
いつだって父親は「正しいこと」「こうあるべきこと」ばかりを言い、母親は「許し」や「曖昧さ」をくれる存在だと、私は思います。
父は「理想」を、母は「現実」を語るものなのかもしれません。
娘というのは母よりも、父との精神的離別が早いものです。
劇中、最も衝撃的だったシーンのひとつが、お風呂で裸になったテルマの体を父が丁寧に洗っているシーンでした。
あまりにもべったりとくっついている父との関係性が彼女をいつまでも少女のまま拘束しているのだということを象徴的に表していたように思います。
終盤、彼女は突然、ある衝撃的な方法で「父親と決別」します。
そして彼女は自身の「能力」に対する向き合い方を発見するのです。
これは彼女が大人への階段を上るメタファーであり、父との決別は、女の子たち誰もが経験する通過儀礼であり「禊」だったのだと思います。
「禊ーみそぎー」は日本の神道の考え方で、水浴をすることによって罪や穢れを落とし、自らを清らかにする行為です。
ノルウェイの経験なクリスチャン家庭として描かれているので「沐浴」と言ったほうが正確かもしれません。
沐浴も同様に水によって「穢れ」や「罪」を落とす行為です。
この映画では「湖」や「プール」が象徴的に描かれます。
父と決別するシーンも実は「水中」なのです。
まぁちょっと、「そんなアホな!」という終わり方なのですが、それでも結構な爽快感が最後に用意されています。
わからないけどわかる!
まるでおとぎ話のように抽象的で、しかし重苦しい雰囲気の中で展開するこの映画。
でもなんか、女性は特に、加えて毒親に育てられた人ならもっと、「わかる!」と言える作品だと思います。
ちょっとわかりすぎて痛いくらいに。
「主人公は幸せになりました、めでたしめでたし」なんていう映画を見ても、「そんなアホな」と思ってしまったりする年齢になってしまいました。
でもまだ親元を離れていなかった頃の私はきっと「うらやましい、私もいつか、この家を出て結婚して幸せになるんだ」と素直に結末を受け入れていたような気がします。
この映画『テルマ』も同じで、少し「そんなアホな」と言いたくなる結末が待っているけれど、それは同時に「こうあって欲しい」という願望を描いたものであり、毒親を持ったチルドレンの欲望を満たし傷を癒すための希望に満ち溢れていると思う。
ただしそれは個人的な感想であって、人によっては絶望的なラストとも捉えられる展開なので、一緒に見た人とあーやこーや言いながら自分なりの答えを導いて欲しいと思います。
ぜひ劇場でウォッチしてください!!
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