ゾンビとは自然災害である!? 映画『ゾンビ』レビューとイラスト ※ネタバレあり

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85点


こんちゃ!アサミヤです。
以前『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のレビューを書きましたが、それに引き続き、ジョージ・A・ロメロ監督作品をご紹介。

あらすじこちら↓↓

突然、原因不明のまま死者達が蘇り、次々と人間を襲って生肉を貪り始めた。パニックに陥った人々は秩序もモラルも失い、無益な殺し合いを繰り返すばかり。テレビ局員のスティーブンは、修羅場と化した街に見切りをつけ、恋人のフラン、SWAT隊員ロジャーとピーターと共にヘリで夜空に飛び立ち、巨大なショッピング・センターへと辿り着くが…。生者と死者の、生き残りを賭けた死闘が今、始まる! (Amazonより)

 

ゾンビ3部作の第2作目であり、ゾンビを一大モンスターに押し上げた『ゾンビ』。

(原題は「DAWN OF THE DEAD」)

ロメロ監督にとって最大のヒット作となります。

『ゾンビ』感想

消費社会への批判・・・?

『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』では黒人差別や政治批判が込められているのでは?と憶測が飛びましたが、ロメロ監督自身はそれを否定しています。

※それについての詳しい内容はこちら↓↓

https://thegeekstandard.com/2018/02/23/post-2293/

 

それが一転して、『ゾンビ』ではあからさまなほど「消費社会への批判」に満ちていると、アサミヤは感じましたし、多くの書籍でもそう分析されているようです。

あるいは本作を「資本主義の敗北」=「迫り来る共産主義・社会主義への恐怖」のメタファーと読み取った批評家も少なくないようです。

1978年あたりといえば冷戦まっただ中で、特にソ連がどんどん周りの国々を取り込んでいった時代。アメリカの世間はピリピリムードだったそうで、このセンセーショナルな映画に対してそういう考察がなされるのは当然のことだったのかもしれませんね。

ま、アサミヤはまだ生まれる前なので当時のアメリカがどんな雰囲気だったのかはわかりませんが。。。

 

本作の舞台はショピングモール。すなわち消費社会の象徴ですよね。
そしてなぜかショッピングモールに続々と集まってくる無数のゾンビたち。

なぜショッピングモールにゾンビが集まるのかという疑問には、劇中であっさりと答えが告げられます。

「彼らの本能なのさ」

つまりゾンビ達は「生前行きたかったところ。好きだったところ」であるショッピングモールに続々と集まってきているわけです。

ロメロは本編中何度も、「人間は欲にまみれた生き物である」ということを強調します。

生前の俗にまみれた生活の名残を持ったゾンビが沢山出てきますし、一方ショッピングモールを占拠した主人公グループも、必要もないはずの高級な衣装やお金・インテリアなどを貪るようにかき集めます。

しまいにゃそれを人間同士が奪い合ったり・・・。

ゾンビ達が広いショッピングモール内をあちらへこちらへゾロゾロと歩きまわる姿を見ていると、私たちだって大差ないよな、なんて思えてきます。

ただただ物欲を満たすためにショップからショップへと徘徊する私たちは果たして自分の意思で歩き回っているのかな?それとも本能?習慣?コマーシャルによる洗脳??

なんつて。(社会派みたいなこと言っちまったぜ)

 

一方でこの映画の特徴としてあげられるのがゾンビ映画らしからぬ陽気な音楽や、のんびりとしたカメラワークに見られる、ちょっと過剰なほどの「逆演出」です。

ゾンビをぶっ殺したり、普通ならものすごく緊迫した演出をするであろう危ないシーンを、サラッと軽〜〜く済ませたりします。もはやコメディに近いテンポ感。

 

これは私個人の意見ですが、見るからに批判めいた脚本なのに、”嫌味”が感じられないんですよね。

きっとそれは、ロメロ監督自身が”こういう批判めいたものを皆求めてるんだろ?”というような、メタな視点を楽しんで作っているからじゃないかと思うのです。

”社会を批判する姿”をわざと世間に見せ、一歩引いた場所から様々な憶測をする観客の姿を見てニコニコ(ニヤニヤ?)しているロメロ監督の姿が見える気がするのです。

映画の内容自体も、”批判するロメロ監督像”すらもエンタメ化しているんじゃないかな。

これは余談ですが、長期間の過酷な撮影の中でも(満足なギャラを払えないこともあって笑)、”現場は楽しむべき”という姿勢をロメロ監督は貫いたそうです。出演者からのアイデアもどんどん取り入れて、キャラクター設定まで変えてしまったり。

ロメロ作品全てに言えることですが、作り手の”楽しんで作ろうぜ!”な姿勢が画面から伝わるからこそ、批判めいた内容に満ちていても暗くならずエンタメとして楽しめるんでしょうね。

 

ゾンビは自然災害!?

劇中、主人公達とは別の、いかにも悪そうな人間達のグループにショッピングモールが襲撃されます。

↓ 実はこの襲撃グループのリーダー格の男を演じているのは特殊メイクを担当している、かの有名なトム・サヴィーニご本人!!

 

Happy birthday buddy

Tom Saviniさん(@thetomsavini)がシェアした投稿 –

さっきまで主人公達を恐怖に陥れていたゾンビ達がいとも簡単にぶちのめされていきます。バラエティ番組の罰ゲームみたいにパイを顔に投げつけられるゾンビまで。

その時、私たちはふと「ゾンビかわいそう」と思ってしまう。

その様子はまさに「ゾンビ虐待」! 私は気がつけばゾンビを応援していました。しかもロメロ監督はその「ゾンビ虐待」シーンを延々と続けます。その狙いはなんなのでしょうか?

 

前作の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で、ロメロ監督は「悪意のない、状況としての恐怖」を生み出しました。

それまでのホラー映画において恐怖の対象であった「悪意を持った」ドラキュラや悪霊とは違い、ただただ「人肉を食いたい」だけのゾンビがウロウロしている中で「人間はどう振る舞うのか」を描きました。

「人間VSモンスター」ではなく「モンスターがいる状況での人間VS人間」です。

本作「ゾンビ」でもそれは同じです。

「ゾンビかわいそう」と思った私の感情は、「森」や「虫」や「川」といった「自然」に向けられるものと近いような気がしたのです。

「自然」は、都会で暮らす私たちにとって普段は遠ざけられた脅威です。人類は自然の中から自分たちが生きられる環境を切り取って暮らしてきました。しかし、たとえば中国の現在の自然破壊の様子をドキュメンタリー映像でみたりすると「なんてひどい」とか思ったりしますよね。随分身勝手な話です。

今になってはわかりませんが、ゾンビ虐待シーンをわざわざ(しかも延々と!)作ったロメロの真意は

「ほら、ゾンビがかわいそうだと思っただろ?」といういたずら心だったような気がします。

結局一番愚かなのは人間同士の争いで、ゾンビは究極の「自然災害」のようなもので、ただ静かにそこに存在する脅威なのです。

ロメロが考え出したゾンビという存在はワルモノではなく「極限状況の発明」だったのかもしれませんね。

 

個性あふれるゾンビ

 

 

ロメロ作品に出てくるゾンビは、いつも個性的で主役級の存在感。
今作『ゾンビ』では黄色い袈裟姿の僧侶が印象的です。

ショッピングモールが舞台でありながら僧侶がメイン級ゾンビとして出てくる・・・

前述した通り、彼らは「本能によって、生前行きたかった、好きだった場所に集まってきている」のです。僧侶なのに!ちなみにシスターも出てきます。

ここにもロメロ監督なりの俗世界への皮肉めいた表現が見て取れます。

だからって、この僧侶ゾンビ自体をにっくき存在として描いているかというと、全くそんなことはありません。ヨタヨタと歩き、タンバリンを肩から下げた彼の姿にみんな愛着を抱くはず。

ロメロ監督はただただゾンビを愛し、ゾンビを一つの魂を持った存在(屍であろうとも)として描きたかったんだろうなと、ロメロ作品を観る度に思います。

『ゾンビ』気になるポイント解説

本当の”ゾンビ”が誕生した

コアなファンには当たり前のネタですが、ゾンビ3作品の1作目となる『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』では”ゾンビ”という呼称は一言も使われていません。
ロメロ監督自身も「ゾンビを描いたつもりはなかった」と言っていますが、作品を観た観客が「これはゾンビだ!!」と勝手に盛り上がったことから仕方なく「うん、ゾンビでいんじゃね?」とロメロ監督が認めちゃったという経緯があるのです。

そして今作の『ゾンビ』では堂々と、顔の青白い歩く屍のことを「ゾンビ」と呼称しています。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で既に”人を襲い、人肉をむさぼり、頭を破壊しなければ死なない”という現代に通ずるゾンビ像は生み出されていましたが、それを”ゾンビ”と定義する作品がここに生まれたのです。

ショッピングモールでの撮影は閉店後に行われた

撮影はアメリカのペンシルベニア州にあるモンローヴィル・モールというショッピングモールで行われました。
閉店後の夜11時以降から、開店前の朝7時ましか撮影できなかったそうです。

現在のモンローヴィル・モール(Wikipediaより)

 

撮影はクリスマスシーズンまで続いたそうですが、お店にクリスマスの飾り付けがある間は撮影も出来なかった為、一時撮影を中断していたんだそう。

実際に営業しているショッピングモールとあって、物が壊れるシーンはあっても、施設自体に傷がつくようなシーンはないような・・・。

モール内を車が走り回ったりしますが、実にスムーズに走り回ります笑

何となく噴水のシーンが多いなぁと感じていたのですが、施設を壊さず水を弾くことで派手なシーンが撮れるからかなぁと思ったり。

このショッピングモール、今でも健在で観光客も多く訪れるそうです。

スティーブンの”ゾンビ歩き”はアドリブだった!

仲間でありヒロインの恋人であるスティーブン。ヘリボーイという愛称でも有名ですね。
演じたのはデビッド・エンゲ

 

ネタバレ(今更)ですが、彼は籠城していたショッピングモールを略奪しに来たヘルズ・エンジェルスを攻撃しようとするも、逆に撃たれてしまい、ゾンビに襲われ、最後にはゾンビになってしまいます。

前作の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』では仲間の死を悲しむ場面はありませんでしたが、今作『ゾンビ』では親しかった仲間や恋人がゾンビと化す悲しみが描かれています。

スティーブンがゾンビになった姿を見たとき、個人的にめっちゃ悲しかったっす。
ショッピングモールで無意味に金品を漁り向こう見ずな行動をする仲間とは違い、彼は臆病者ながらも良心的な存在だったから。

現代のゾンビ映画でも愛するキャラがゾンビ化することの悲しみや衝撃って大きいですが、ロメロ監督は初期作品から”ただ死ぬことよりも、ゾンビ化することで更に殺さなければいけない二重の苦しみ”を描いていたんですね。

そんなロメロ監督もすごいですが、スティーブン役のデビッド・エンゲも何気に凄い。

ゾンビと化したスティーブンがエレベーターから出てくるシーン。
”あぁ、やはり彼もゾンビとなってしまったか・・・”と悲しみがこみ上げる名シーンなのですが、驚くのは彼の”ゾンビ歩き”。
それまでに登場した数多のゾンビとは違った、鬼気迫るほどにゾンビになりきるデビッド・エンゲにきっと度肝抜かれるはず。

その”ゾンビ歩き”、実はデビッド・エンゲのアドリブだそうです。
こんな狂った演技を、何の指導もなく勝手にやっちゃったの!?と驚いております。

ちなみに彼、元々はレストレンでシェフをしていたそうなのですが、たまたま食事にきていたロメロ監督と出会い、『ゾンビ』に出演したんだそうです。

それが「世界一有名なゾンビ」になっちゃうなんて、なんというシンデレラ・ボーイ!!

 

伝説だらけの名作

とにもかくにも、様々な憶測を呼び、後世のホラー映画・ゾンビ映画に多大な影響を及ぼした名作中の名作です。

今更アサミヤが解説することもなかったのですが笑、改めて鑑賞すると言いたいことがどんどん出てきて今回は異常な長文レビューとなりました!

自分が生まれる前に作られた映画にこんなに思うところがあるなんて、ちょっとびっくりしますね。

いろんな人のレビューを見比べるのも楽しいので、ぜひ皆さんも改めてこの映画について考えてみてはいかがでしょうか?

ま、いらんこと考えずに見た方が面白いですけどね!!!

 

本作のリメイク作。時代によってどう演出が変わったかを見るのも面白い!

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