映画『アンダー・ザ・シルバーレイク』レビューとイラスト※ネタバレあり

スポンサーリンク

『Rolling Stone』誌で「2015年のホラー映画ベスト10」第1位に選ばれた『イット・フォローズ』デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督作品

日本では2018年10月13日公開予定。

主演は『アメイジング・スパイダーマン』シリーズのアンドリュー・ガーフィールド、ヒロインは『マッド・マックス怒りのデス・ロード』にも出演しているエルヴィス・プレスリーの孫ライリー・キーオが演じている。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』概要・あらすじ・キャスト

概要

「イット・フォローズ」で世界的に注目を集めたデビッド・ロバート・ミッチェル監督が、「ハクソー・リッジ」「沈黙 サイレンス」のアンドリュー・ガーフィールド主演で描いたサスペンススリラー。(映画.comより)

あらすじ

“大物”になる夢を抱いて、L.A.の<シルバーレイク>へ出てきたはずが、気がつけば仕事もなく、家賃まで滞納しているサム。ある日、向かいに越してきた美女サラにひと目惚れし、何とかデートの約束を取り付けるが、彼女は忽然と消えてしまう。もぬけの殻になった部屋を訪ねたサムは、壁に書かれた奇妙な記号を見つけ、陰謀の匂いをかぎ取る。折しも、大富豪や映画プロデューサーらの失踪や謎の死が続き、真夜中になると犬殺しが出没し、街を操る謎の裏組織の存在が噂されていた。暗号にサブリミナルメッセージ、都市伝説や陰謀論をこよなく愛するサムは、無敵のオタク知識を総動員して、シルバーレイクの下にうごめく闇へと迫るのだが──。(filmarksより)

スタッフ

監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル

キャスト

アンドリュー・ガーフィールド:サム

大物になる夢を抱きつつも、33歳にして無職&家賃滞納中の冴えないオタク。
走り方に小物臭が漂う。

●ライリー・キーオ:サラ

サムの隣の家に住むミステリアスな美女。
飼ってる犬の名前は「コカ・コーラ」。

●ジミー・シンプソン:アレン

サムの友人。なぜかいつも女物の服を纏っている。(絶対松尾伴内パクったやろ)

パトリック・フィッシュラー:同人誌の作者

家中に有名人の型取りマスクを飾る、陰謀論好きのオタク。

●グレース・ヴァン・バットン:風船の女

全身に風船を付けて踊る謎の美女。
どこかで観たことあるなーって思ってたら、Netflixで配信中の『浮き草たち』に出てた子だ。
まだあどけないふくれっ面の女の子だったのが、こんなにも大人になって(1年しか経ってない)。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』感想

82点

こんちゃ!アサミヤです。

以前リーアム・ニーソン主演の『トレイン・ミッション』を公開前に試写させて頂く機会がありました。

「https://thegeekstandard.com/2018/03/11/2456/

憧れの試写会、それもGAGA!

残念ながら東京まで足を運ぶことができずにDVDを送っていただいたんですが、嬉しい反面、試写会にいけなかったことが心残りな一件でした。

そしてアサミヤ、またまた試写会にお誘い頂いたのです!
今回こそは行きたいわぁ、憧れのGAGA本社やで、一回行っとくっきゃないっしょ!って思ったんですけどね。

アサミヤ、大阪から徳島に引越ししたんです、今年の夏前に。
徳島から東京・・・より遠くなっとるやないかい。

そういうわけで泣く泣く上京を諦め、ふたたびDVDを送っていただき、おうち試写会いたしました。

作品は『イット・フォローズ』が大当たりしたデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督最新作『アンダー・ザ・シルバーレイク』
なんでも「悪夢版ラ・ラ・ランド」と評されているそうで。
ってか『ラ・ラ・ランド』もラストはある意味悪夢だったけどな〜、とか思いながら鑑賞いたしました。

そしてアサミヤ、超絶ぽかーんとなりました。

「ヘンテコで深遠な、愛すべきカルト映画!」という評の方がしっくりくる感じの、ジャンルを括るのさえ一苦労な作品です。

はっきり言いますが、よくわかりません、この映画!

だけど・・・面白いんです・・・(小声)

その面白さを上手く伝えたいけど、伝えられるほどの語彙力がない・・・
だけど頑張ります!私なりに、この作品の面白さを伝えます!

ジャンルに捉われない目線で観て欲しい

『アンダー・ザ・シルバーレイク』はwikipediaによるとコメディーに位置付けられていますが、明らかに「コメディー」で一括りにしてはいけない内容だと、アサミヤは思います。
いや、観た人全てがその意見に賛同してくれるでしょう。

なぜならオープニングから、コメディとは言い難い違和感が満載だからです。

イット・フォローズと同じく、カメラはほぼ固定、構図は一貫して黄金比。
(いい意味で)いやらしいくらい徹底的にシンメトリーの構図で知られるウエス・アンダーソン監督ほどは明らかな絵作りではないけれど、スマートで美しい構図に引き込まれます。

でも、なんか、変、なんですよ。

主人公であるサムはおしゃれな街「シルバーレイク」にある、共有のプール付きアパートに住んでいて、画面に映える青い空、濃い緑、ポップな壁の色と、とても美しい背景の中でこの映画は描かれます。

しかし彼自身はといえば30歳半ばにして無職&家賃滞納中。おしゃれ感が溢れる背景とは正反対のダサい格好でウロウロし続けます。(パジャマとか)

また自身の部屋のベランダから上半身裸の老婆を双眼鏡で覗き見たり(おぱい丸出し老婆!)、彼が恋心を抱く隣人のサラは部屋の中でも大きな帽子を被ったままだったり・・・。(落ち着かんわ!)

それはデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督のユーモアだったのだと、この映画を最後まで見た後であればわかるのですが、絵面が美しくて説得力がありすぎるのか、鑑賞中は「これは笑いどころなのかな?意味のある伏線なのかな?」と判断に困ってしまい、素直にクスッとできない感じがありました。

ささくれのように、チクチクと小さいながらも拭えない違和感を残し続けます。

そしてその違和感は、全く解消されません!!
でも、それでよかったんです!説明は後ほど!

シンプルにわけがわからん

物語は「超展開」と言っても差し支えないほどに、全く「軸」を定めないまま爆走します。

序盤は美女探しを始めるノワールものになったり、”フクロウの女“が出てくるホラーものになったり、ポップカルチャーの裏側にあるサブリミナルの存在に足を突っ込む都市伝説・オカルトものになったり、終いにはカルト集団と対峙したり・・・。

後半はずっと「この映画、なんなんだ、どうしたいんだ」って思いながら観てました。

ホラーというよりは「不安感」、コメディというよりは「違和感」・・・今までの映画を評する言葉では表せない、既存のものから逸脱した作品だったのは間違いない。

たぶん、一つのジャンルでひとくくりにしようとするクセがダメなのではなかろうか。

ノージャンルな映画があってもいいじゃないですか、ね?

テーマのひとつは”サブリミナル“

みなさまは”サブリミナル“という言葉を聞かれたことがあるでしょうか?
潜在意識に刺激を与えることでイメージを刷り込むことをサブリミナルと言いますが、昔『世にも奇妙な物語』でも「サブリミナル」というドラマが制作されていて、中々面白く、サブリミナルというものを理解できる秀逸なお話でした。

政府が作った宣伝の中に、「65歳以上は自殺しろ」というコマが入れ込まれていて、それが潜在意識の中に刷り込まれて多くの自殺者が出る、という内容です。

ただ、ここまで極端なサブリミナルはあり得ない話であり、一種ファンタジーな世界ですね。
だからこそ「世にも奇妙な」お話として成り立っているのですが。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』でも、このサブリミナルが大きなテーマとして扱われています。

サムは元々、レコードに隠された暗号(逆再生すると隠された言葉がでてくるってやつ)を解くことに執心しているほど、都市伝説の類に興味のある男です。
そんな彼が失踪したサラの居場所を突き止めようとしてサブリミナルに手を出したことから、どんどんと深みにはまり、まるで悪い夢をみているような日々に追い込まれていくのですが、劇中に出てくる様々なサブリミナルがオタク心を刺激するものばかり。

例えばカート・コバーンのポスター、ヒッチ・コックの墓、ジャネット・ゲイナーの映画・・・何度も見返し、この映画に秘められた暗号を読み解きたくなるほどにたくさんのサブリミナルが散りばめられています。

監督もパンフレットの中で「本作には、沢山の要素が隠れていて、人が見つけてくれるのを待っている。言語的なものもあれば、テーマに関するものもある。これは、明確な答えを打ち出すような映画ではない。見た人たちが自分で考え、議論し、そしてできればもう一度見てもらえるように、意図的に作っている」と語っています。

今までたくさんのポップカルチャーに触れてきた人ほど、隠されたメッセージを読み解くのが楽しい作品なのではないでしょうか。

劇中にも出てくる性的な魅力を隠した昔のポスターがこちらにまとめられていて大変興味深いので、よければどうぞ↓↓

https://matome.naver.jp/odai/2133439189361344701

昔からサブリミナルを使って宣伝をしているのがコカ・コーラだとこの記事の中に書かれていますが、サラが飼っていた犬の名前も「コカ・コーラ」でしたね。

『ラ・ラ・ランド』と正反対

『アンダー・ザ・シルバーレイク』と同じくLAを舞台とした『ラ・ラ・ランド』。
主人公二人が手をつないで空を飛ぶ舞台として有名な「グリフィス天文台」が、この映画にも象徴的に登場します。

しかしその扱われ方は対照的。
映画のパンフレットに掲載されていた映画評論家・町山智浩さんのコメントを抜粋させていただきます。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』は『ラ・ラ・ランド』の裏返しのような映画だ。あちらは天にも昇るラブ・シーン、こちらは地下深くのトンネルに下りていく。

”地下深くのトンネルに下りていく“とは比喩でもなんでもなく、実際にサムは「ホームレスの王」と名乗る怪しいおじさんに手を引かれて地下に降りていきます。

地獄の扉を開けてしまったのごとく、サムは地下に足を踏み入れたことで、加速度的に悪夢のような世界に巻き込まれていきます。

『ラ・ラ・ランド』は美しくも儚い夢のようなお話でしたが、『アンダー・ザ・シルバーレイク』は悪夢を美しい映像で見せるお話。

美しいからこそ残酷で、ときにグロく、人によっては狂いそうな世界観。

『ラ・ラ・ランド』もラストは一種悪夢ですが、「まだまだ甘っちょろいぜ!」と思われる方は、ぜひより悪夢度が高い『アンダー・ザ・シルバーレイク』、ご鑑賞ください。

美しい映像で描かれる、LAという魑魅魍魎うごめく夢の世界

とっても評するのが難しいこの映画。しかし、なんとな〜〜〜く、みょ〜〜〜うに面白い、絶妙のバランスで破綻した物語です。(破綻はしてます。完全に)

しかし後になって考えてみると、これはひょっとしたら「LA」という幻想の話なのかもしれない、と思い当たりました。

我々日本人の若者が「東京」という響きに、言葉では形容しがたい「なんとなく華やかな世界」や「ドラッグ・セックス・歌舞伎町!」的な・・・・なんていうんですか、こう、あるじゃないですか?

「東京に行けば何か起こるかもしれない」みたいな、モヤモヤっとした魔力への憧れって。
田舎町では起こるはずのない、スリリングでスパイシーな出来事が待っているはずだ!みたいな。

きっとアメリカの若者、いや、世界中の若者にとってNYやLAは「なにかある場所」としての魔力がギンギンにある都市なんだろうと思います。
そりゃなんたって、LAはハリウッドの街で、大金持ちやセレブリティーがわんさか住んでいるわけですから。もちろんマフィアやら、陰謀やらも・・(これも私の勝手なイメージの「魔力」ですね)

そういえば「LALALAND」という言葉は、映画として有名になる前からある言葉で、「現実離れした世界、おとぎの国」という意味があるそうですね。
LAはまさに「夢追い人がひしめく、おとぎの国」なのでしょう。

この映画『アンダー・ザ・シルバーレイク』は、LAという、夢の都市で「起こりそうなヘンテコなこと」のごった煮を、辻褄なんて考えずに詰め込んだ「夢」のような物語だったのではないでしょうか。

・隣人の女の子がすごく美人で、彼女の犬におやつをあげることでお近づきになってキスまでできちゃったり

・向かいのベランダの老婆がおぱい丸出しでいつもベランダでくつろいでいたり(?)

・大富豪が美女とともに行方不明になったり

・とにかく陰謀の匂いがプンプンしたり

・ずっと憧れていたヒーローが、とある黒幕の作り出した虚像だったとわかってしまったり

・パーティーに繰り出せばよくわからない若者達がワイワイしていたり

・すぐセックスできたり

・ホームレスやカルト集団などの「裏の世界」を垣間見たり

 

とにかくとってもファジーなホラーであり、スリラーであり、コメディであり、ヒューマンドラマであり、カルトであり、そんなわけのわからない魑魅魍魎うごめくぐっちゃぐちゃの世界こそ、LAという街を写し取った結果だったのかもしれません。

不思議な説得力のラストシーン

「夢」のような「違和感」の集合体のこの映画。

ラストシーンは、意外ながらも不思議な説得力で「終わり」を告げられます。

とある事情から自室にいられなくなったサムは、ずっと双眼鏡で覗いていた向かいの部屋に住む(いつもおぱいを眺めていた)老婆を訪ね、そして彼女と寝ます(なにその展開!)。

そこで初めて、彼は自分が住んでいた(なんやかんやあってぐちゃぐちゃになった)部屋を客観的に見ることになります。

皆さんは遠くから自分の部屋を覗き見た経験はあるでしょうか?
私は電車の線路沿いの部屋に住んでいたことがあって、何度かふと、電車の中から自分の部屋を覗き見たことがあります。

その時に抱く、妙な違和感を今でも覚えています。

変な話、「もし誰かいたらどうしよう?」とか、あるいは「自分自身がいたらどうしよう?」とか、おかしなことまで考えてしまったりします。

部屋というのは自分自身で埋め尽くされた空間ですよね。それを他人の目線で外から見ると、まるで自分自身が乖離してしまったかのようなおかしな感覚を抱くことがあるのです。
村上春樹の「スプートニクの恋人」でそんな話がありましたね。忘れましたが。

さてサムは、老婆の部屋のベランダから、自分の部屋の、いつも自分がいた場所を見ることになります。
そしてそこで彼は(それを見ている私たちも)なんとなく「ああ、この街での自分の(サムの)むちゃくちゃな日々は終わりなんだな」と痛感させられるのです。

この物語は「夢の街・LA」で起こる、様々な有象無象を描き出した作品でした。

そんな物語の数々を窓というフレームに入れて「そんなお話でした」という締めくくりを、監督は説明もなく感覚的に、しかし見事に、提示したのだと思います。

まとめ

1回目の鑑賞では、とにかくわけがわからないまま進むストーリーに戸惑いましたが、見方がわかった2回目は素直に映像美と、LAの有象無象そのものを受け入れて、まるでおとぎ話を見るように楽しく鑑賞することができました。

奇才、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督らしい、説明しないし全然納得もできないのに不思議と引き込まれる強さを持った映画作品でした。

好みはあると思いますが、私はとても楽しめました!

こちらもおすすめ

★同じく本筋がわからず何となく不快な感覚に陥りつつも、なんだか好きって言っちゃう作品。

コメント

タイトルとURLをコピーしました